遺言

ちらしのうら

※傷写真/等価交換

昨晩しこしこ切っていた傷です。

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すみません、ワンクッションを忘れてました。不快にさせてしまったら、本当にごめんなさい。

 

 

後処理していたら苛苛してきて、手元にあったトラゾドンを過量し、今でも足は重たくて上半身はふわふわ、口渇、吐き気が消えません。本当嫌になる

朝食を摂った後に吐き気が酷くて一度戻しました。こどものころのようにしょっちゅう吐くことも無いので、吐き方が分からなくなるのですがちゃんと覚えているみたいでびっくりです。何度吐いてもスッキリせず、何も出なくなるまで出したので体が軽くなった。

 

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昨日、お母さんの大切にしていたビードロを、猫がおとして割ってしまった。あのビードロは、私がずっと小さい頃からあったもので、そっとなら吹いてもいいよ。と言われて、何度か鳴らしたことがある 年末、お母さんが久々に吹いていたのを見た。お母さんは相当ショックだったみたいで

ものが無くなる。壊れる。どうしてこんなに切なくなるんだろう。破れた薄い、フィルムのような硝子片を手に持つ。手が切れないかな、と尖ってるところで引っかいたり握ったりした。硝子が割るとこうしてしまう癖が、成功したことはなくて。透明のガラスの中に色とりどりのラッパが入っていたビードロの表面は、いつでも丁寧に保管されていてなおこびりついて取れない細かな埃で白く霞んでいた。夕日に翳すと乳白色のようにも見えた。私よりもずっと長い間在り続けた、宝物で有り続けた、ビードロよりも私こそこうなればざまあみろなのに、などと、今もこれからもどうにもならないことを想った

 

人間は、絶対に裏切る生き物で、どれほど信用しても期待しても懇願しても最後には一番望まなかった方法で去っていく。そう知っていたから、私は私しか信じないと誓った。手に入らないことを望むより最初から無かったことにすれば、欲しいとさえ思わなくなる。それでも立ち入ろうとする人は消えなくて、結局は縋りたくなる。自分しか望まない保証してくれない私を助けよう等と、害ばかり目立つそれの本心は何処にあるのか、探らずには居られない。それでは安心できない。それを知って哀しくなるよりは、最初から理由のある付き合いの方が安心できた。お金でも責任でもなんでもいい。払えなくなったら、私が消えたら何もかも消える関係が好かった。そうじゃないものに価値はない

私自体が割れたビードロの欠片よりも、全く、価値がない生き物であるのに、助けようなんてボランティア精神で手伸ばす理由が分からない。理解できない。