遺言

ちらしのうら

生きろ

めちゃくちゃ荒れていました。切るのが若干トラウマになってしまい、最近は手頃な棒で思い切りぶん殴るという原始的な自傷に明け暮れていました。右腕は大きな宇宙みたいな痣が出来て、両太腿が500円玉くらいのこまごまとした痣まみれです。半ズボンと長袖で隠れるところは手当たり次第殴ってみました。痣の出来やすい方法もなんとなく分かった…(??)あと痛みが分からなくなってきた。慣れって怖い…

それから、血を1リットル程出しました。静かにやっていたんですけど、後処理に立ったら失神してしまい、隣室の母にバレました。気づいたら部屋のど真ん中に仰向けで寝てて、机やら作業ケースなどが壊れていたので、どこかしらぶったと思うのですが、失神って、本当に痛くないですよね、前後の記憶が繋がっていれば、最初からそこで寝ていたのかもと思う程です。煩いと怒られて謝ってしばらくそのまま放心していたのですがベッドに潜り、吐き気と戦っていたらいつの間にか朝でした。その後2日くらいはベッドにこもってひたすらぶん殴ってました。もうそれしかできなかった馬鹿です。

2日目の夜、衝動的に、今度こそは死ぬと決めて、手短に身辺整理をして挑んでみたのですが、300くらいしか出ずに、結局20時間くらい眠ったら殴りたい欲も無くなって今に至ります。なんだこれ。死ねなかったなあ

血が足りなくなると、変な寒気がしますよね。ヤバイなー!って感じの。あれ、すごく怖いんですけど、我慢したら、ひょっとしたら死なないかな〜とか、絶対嘔吐してしまうので、その音をどうにかごまかす方法が知りたい今日この頃…

記憶の整理のためにここに書いて居たのですが、最近はまたぬるぬるとした気持ちの悪い日々の中にいて、書いても書いても実感を伴わず無意味な行為になりつつあるので、暫く間を開けようと思います。現状が発展して、その時生きていたらまた書きに来ようと思います。皆様、どうか幸せにお過ごしくださいね。

先生、どうしたら善いですか?

終わりの日を想像するから怖い

終わりの先を想像するから怖い

終わりの先には無が在って

終わりの先は黒い闇ばかり

見えなければ不安はない

見なければ無いのと同じ

あ〜、あ〜、今週末はセーシンカだよぉ!やだなぁー。昨日も飲み会でメンタルボロボロなのにぃ(飲み会は楽しかった!!)妹と久々に話した。良かった、もう嫌われちゃったと思っていた。それで、いいんだ。嫌われるように、嫌われるような言葉を選んで吐いたのだから、嫌われて当然なんだ。そんで、妹はこんなゴミの存在を綺麗さっぱり忘れて、楽しい幸福な人生を、家族と、過ごすべきなんだっ!ああ、そうしたら、私はやっと私を、許せる気がする…すごく悲しいけど。

私という器が可哀想。あー、やっぱり、嫌われて無になるよりは、私が無になって、皆に愛されるヒトに成れば、みんなしあわせなんじゃないか…って。早く、心を殺す術が見つかればいいのになあ。誰に成れば、みんなは私を愛してくれるのかなぁ〜〜私、私は私を早く棄ててしまいたい。そしたら、そしたらやっと、今度こそ本当に、幸せになってみせる。もう、ね、何もかも要らない。名前も、心も、自分も私も、あの子も…

 

「愛される子」に成ることが、私に求められている事で、その為には「私」というものが邪魔でしかない。本当に切り捨てたいものはどこにあるんだろう。手首をいくら切っても、心配をかけるばかりで、ちっとも、誰かを救うことさえできない。下らない自己満足のために、流す血は、勿体ないし、不要で、穢れている。

いいわけ

気分が安定している時(と、表現するのは的確ではないと思うけれど)は、私はひなたにちかいところや、陽の下に居る。そういう時、身体の調子にも気を配る。栄養とか質を重視する余裕があって、美味しいと思えるものを作って、楽しんで食事をする。痩せる、太る、はなかった。

去年は丸1年不安定で、食事を楽しむ余裕もなければ、一日一食はせめてなにか食べなければ、と胃に詰め込むのがいっぱいいっぱいだった。痩せた。帰省して太ってから痩せ、を何度か繰り返し、で、今はと言うと、人生で一番太っている。本当にしょうもないのだ。私は。皆に太ったねと言われて、一人暮らししたら痩せられるなぁ、とか、思ってみて、あーでもそれは不健康で…考え方が不健康で…その前に薬が不健康で…自傷が…未来が…未来は…

どうしたいんだろうね。働いて、何をすれば、私は生きていることを認められるのだろう。そうでなければ、どうしたら、死ぬ理由を見つけられるのだろう

 

生きるのは楽しい。この手で何かを造ることも、とても、とても。満足はしている。納得もしている。それでも、認めることは出来ない

身を削って一生ぶんの命を懸けて精一杯、死ぬ為に、生きることを、頑張れずにいる、

最低な、私は

どうやって生きていけばいいのだろう

「私」を必要とする最後の人間である私が、私を手放した時、誰が私を動かしてくれるんだろう…もしくは、誰が、迷惑しか掛けられない木偶を、処分してくれるんだろう…?

 

死ねもしない生きることも儘ならない出来損ないの私を棄ててくれるのは誰だろう

死ぬのは、こわい。だから、ドライアイスみたいに消えてなくなることを夢見ている

夢だと理解する前に、眠りに落ちることを

 

願わくば

劣等感といえば少しは綺麗?もっと醜く始末に負えない煮詰めた黒焦げの砂糖の様なきたない感情の名前は、なんというのだろう。炭化した苦い発癌性物質が、私を殺そうとしている。私の細胞を書き換えて、中から、どんどん、そう、浸潤していって。だからこんな空っぽの砂糖のかたまり、はやく捨て去ってしまいたいのに、それはあまくてやさしくて、どうしても、焦がれずには居られない。そして、熱し過ぎて焦がしてしまい、毒になり、身体中を蝕んでいくのも、もう、慣れ、た、か?

成れない。まともから切り離すことでこれを運命とする。仕方がなかったんだ。だって、これは、罰で、呪いなんだから…苦しくとも、辛くとも、それでも私は「しあわせだ」と胸を張る。生きていることがしあわせだ。ご飯を食べられるのがしあわせだ。寒くないのも、痛くないのも。それは幸せに違いないのだ

でもそれが当然で、その上の幸せをあたりまえに得られるかれらが、私にはとても、羨ましい。無い物ねだりで、私には不相応なものだとして、だからこそ羨ましい。妬ましくはない。ただ、ただ、眩しくて、泣きそうになる。そんなきらきらとひかる、雨に洗われた初夏の夕陽みたいな、うつくしい手のひらが私に差し出されて、「今日だけは一緒に遊ぼう」と、手を繋ぎひなたに連れ出してくれる、また、勘違いをする。「ここにいたい、ここにいても、いいのかも」なんて烏滸がましく畏れ多い。

距離を取り罰することで、そう運命よ、諦めろ。じゃ無ければ、私は、誰を呪って恨んで憎めば、しあわせになれるのか

 

今日はそんな真っ当ないとこに会う日です。毎回懲りもせず眩しくて泣きそうになってさ、私でさえドン引き。ああ、みんなが、どうか幸せな1日になりますように。そしてこんなところに来てくださった貴方が、好い1日を過ごせますように。

とくべつ

自分が信じられなくなったとき、自分の声に集中できないほど焦っていたりこわいとき、つらかったとき、ただ大丈夫と一言があれば何事もなく済むような、ただその一言だけに救われてしまうような、本当にぎりぎりの淵にいるとき

他人の言葉が、影響力を持つ。他人の存在が、私の未来を左右する、させる、浸潤して、私の意思はないがしろにされる。それがひどく怖い

大丈夫なんてたったその一言で私は救われるのだとしたら、同じようにひとことでしんでしまうことだって、あるかも知れない。それが怖い

 

この手を、どうか、取って欲しい。そして、あなたがいかに優れていて、私がいかに醜く劣っているのかを、私に言い聞かせて欲しいんだ。あなたがしたいようにするために、私なんて微塵も残らないように、綺麗に染めて欲しいんだ。幸も不幸も、あなたが定義した価値を私に教えて、そしてその中で生きている私がいかに幸福で恵まれているのかを、疑う余地のない程にこの身に叩き込んで欲しいんだ

 

そしたら私はしあわせになれる。常識では到底はかれない、誰にも、優劣も、善悪も、解るはずがない、たったひとつの幸福のかたちを以って私を愛して欲しい。

誕生日おめでとう

ちら、と見かけたので、でも、そう言う資格が私には無いと思うから、迷惑になったら嫌だから、だから、こんな届かないようなところで、御免なさいね

11日、覚えているか分からないから、今日。

うちの愛猫ちゃんも5月生まれで、私と同じ11日を誕生日と決めた。から、ふたりも、あの人も、お誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。あなたたちに出会えて本当によかったです。それも、有難う。

あなたたちが好い一年を過ごせますように

 

 

『死にきれぬ人らよ歌え』

大学が辛くて苦しいものだったかというと、実はそんなことはなくて、むしろ楽しかった。じゃあ何がそんなに辛かったのかというと、生きることが辛かった。苦しかった、うまく、みんなのように生きていけないことが辛くて苦しかった。みんなのように生きるのがよいとかただしいとかそういう話じゃなくて、私は、みんなのように生きたかったから、苦しかった

苦しいのをずっと我慢していた ずっと、生まれてからずっと苦しい。最初はみんなそうなんだと思っていた でも違うみたいだと気付いて、私だけが違うなら、それは無理矢理でも直すべきだと思った。誰かといるのは、叫びたくなるほど、泣き出しそうなのを必死で抑えつけるような苦痛で、「私にはできない」を受け入れられなかった私は、私を削ることでやっと、「上辺だけ普通」を手に入れて、その代わりに本心は疲れていった。それしかなかった。だから、それはもう仕方がない。でも、未来を変えたくても、こうするのをやめたくても、私は、どう生きたららくになれるのか、本当にわからない。

一人で生きていくのは難しくて、本当にひとりきりならそれはそれでなんとかやれた。でも私が生きていける世界は、人の中で、そうしたら途端に分からなくなる。辛くなる。ひとりで決めることができない。許すことも、認めることも。竦む足を鞭で打つ、それが、私が私としての責任を取れる唯一の手段で、だけどそれは「よくない」らしくて、

わからない。私の中には「未来」なんてものは、最初からなかった。いや、自分を知る前は有った。それは幸福な仮定の上に成り立つ自惚れで、夢物語でしかない。問題を知って、さあどうすればいいのかと考えたとき、途方に暮れた。それでも死ねるわけがなくて、未来を切り崩して今を生きていたら、そんなものを考える余裕がなくなった。脳みそも肝臓も腎臓も犠牲にして、それで、未来、なんてあまいかんがえを、どうしたら持てるというのか

薬に溺れて、いつか体を壊して死ぬんだ。それが、きっと私に「相応しい」「運命だった」「仕方がなかった」「これが正解だ」いくら言い訳をしても、取り戻すことなんてできない。探すのを、諦めるとは言えない。死ぬ覚悟がないから。だから今までみたいに足掻いてみっともなく足掻いてだらしなく生きて、それで、その先がどんなでも、「私は幸せだった」と言い張って、死ぬまで、生きる。