遺言

ちらしのうら

いいわけ

気分が安定している時(と、表現するのは的確ではないと思うけれど)は、私はひなたにちかいところや、陽の下に居る。そういう時、身体の調子にも気を配る。栄養とか質を重視する余裕があって、美味しいと思えるものを作って、楽しんで食事をする。痩せる、太る、はなかった。

去年は丸1年不安定で、食事を楽しむ余裕もなければ、一日一食はせめてなにか食べなければ、と胃に詰め込むのがいっぱいいっぱいだった。痩せた。帰省して太ってから痩せ、を何度か繰り返し、で、今はと言うと、人生で一番太っている。本当にしょうもないのだ。私は。皆に太ったねと言われて、一人暮らししたら痩せられるなぁ、とか、思ってみて、あーでもそれは不健康で…考え方が不健康で…その前に薬が不健康で…自傷が…未来が…未来は…

どうしたいんだろうね。働いて、何をすれば、私は生きていることを認められるのだろう。そうでなければ、どうしたら、死ぬ理由を見つけられるのだろう

 

生きるのは楽しい。この手で何かを造ることも、とても、とても。満足はしている。納得もしている。それでも、認めることは出来ない

身を削って一生ぶんの命を懸けて精一杯、死ぬ為に、生きることを、頑張れずにいる、

最低な、私は

どうやって生きていけばいいのだろう

「私」を必要とする最後の人間である私が、私を手放した時、誰が私を動かしてくれるんだろう…もしくは、誰が、迷惑しか掛けられない木偶を、処分してくれるんだろう…?

 

死ねもしない生きることも儘ならない出来損ないの私を棄ててくれるのは誰だろう

死ぬのは、こわい。だから、ドライアイスみたいに消えてなくなることを夢見ている

夢だと理解する前に、眠りに落ちることを