遺言

ちらしのうら

死と眠り

生きる気力がほぼなくなりつつあるのだけど、生きたい気持ちはかなりある

だから鬱と言われても納得がいかない、でも、症状は鬱だなあという感じで

なぜこんなことになっているのだろう 全く心当たりがない

死は眠りに似ているのだという

私は眠るのが好き ストレスを消してくれるし、現実逃避でもあり、それに眠ったあと行ける夢の世界はとても綺麗で面白いから

現実世界と夢世界を天秤にかけたら、どっちも魅力的で選べない、というかどっちでもいいという感じ でも、夢世界がなくなったらすごくすごく悲しいだろうなあ

夢の世界にいる時、私は「私」であることもあるし、全く知らない他人の目になっているときもある その中では私はその世界を夢だと思わない 本当に思考し、判断し、感動している

だから、もし眠りから覚めなかったとしても、なんら不都合はなく

現実世界では私はわたしでしか存在できないけれど、夢世界ではそんなこと関係なく、現実世界では体験できないようなこと、景色、感動をくれる

死が眠りに似ている、なら。私は何も怖くない、と思う

いつかみんな眠りの世界に落ちていく

だから今すぐそちらに行く必要もないなあと思うけれど

昔鬱だったときはもっと死にたいという気持ちが強かった

いまは殆ど無い というか生きないとと思う

それは、一つの原因として、昔のほうが、心が現実に近いところにあったからだと思う

今、死はなにもかも許してくれると思いはしても、そこまで情熱的になれないというか

夢だとか、生きるのも面白いだとか、もう死ぬには若くないというか…

いや、やっぱり魅力的ではなくなった、と思う

焦らずともいつかそこに行くのだし、