遺言

ちらしのうら

まばたきのように過ぎていく

暑いですね。早くも内臓が熱いです。腕は冷えて痛いし、汗はかくし、嫌な感じです。

無駄毛を剃っていたら、おばあちゃんに濃くなるからやめた方がいい、と言われて、まあ、そうかもしれないなあ、と思いながら、やっぱり剃るのはいいですよね、剃ったあと、ちょっと過敏になった皮膚が、お布団に触れるとすごくさらさらして気持ちがいいんです。猫の毛に触れたときも。その為に剃るというのが8割くらいを占めています。

 

よく、心理師さんは、私がしているどうでもいい、当たり前のことを褒めたりします。でも、正直私が一番「エラい!」と思っていて、例えば、呼吸してる事もエラい!と思っているので、そんなこと褒められてもなあ…、と思ってしまいます。ひねくれているのでしょうか、例えば、自分がバイトをしているとか卒業、とか、自分にとってはふつうに出来て当然、それが出来ないのは、むしろヤバイ域だと思うので、そういうことを褒められると、「今日も息してるねー!!エラいエラい!」と、馬鹿?にされているような気がして、ちょっと…。そういうのは、自分では褒めるべきことでも、褒められるようなことではない、と思ってしまいます…(??)

でも、感覚について意見をいただけるのは嬉しいと思います。有意義だな、と

さらさらしているシーツの心地よさ、とか、寝る前に飲むミントティの後味とか。意識していなかったことを、素敵だと教えてもらえることは、意識的に出来るようになる、ということで、それはひとりきりでは分からないことも多いから、とても有難いと思います。

一緒に行く

過去の日記を見返していた。今ではここで書くことが多いけれど、冬まではあっちがメインだった。死にたいとか直接的な言葉をぼかしてはいたけれど、辛いのは事実でも、そこまで追い詰められてもいなかった、というのが良くわかる言葉たち。今は、そうね、結構しんどいけれど、気力はあの時よりも回復してきていて、なにより、「今はひとりじゃない」から

あの夏、幾つもの私を見ながら、私は独りきりで、それが寂しかった。悲しかった。

「育て直したい」とも、思った。やり直したい訳では無い。私は私の人生が、いくら歪んでいて間違っていたとしても、肯定する。認めて、許す、から、やり直したいとは思わない。それでも、無力だった幼い私を、おとなのいじわるから守ってあげたいと、そう思う。思っていた。緩やかに、ほんとうにわずかずつだけど、それは実現している、と思う。物理的に育て直すのは無理だけど、この間もここに書いたように、私はあの頃のおさなごとして、母として、やり直せている、と思う。私は、去年もそうだったけど、暴力を振るいながらも、それでも愛していた、愛している、と思うよ。私は別れていても私であるから、どんなことを考えてぶつのか、痛いのも、後悔も、その奥にある理由も、ちゃんとわかる。わかっているから、大丈夫。それに私は二人きり、でもないし。母と子、だけじゃない。母として子を殴るのではなく、役割があって、多分みんな、私を許している。許してくれている。「それでもいい」と、言ってくれる

みんなで力を合わせて、先に進めたらいいよね。過去は大事だけど、ちゃんと先に。どうしても治らない傷も、酷い言葉も、衝動も、たくさんあるから、真っ直ぐな愛を向けることは出来ないけれど、理解して、受け止めてくれる私がいるから、私はきっと大丈夫。

記憶のありかた

笑ってくれるよりは、泣いてくれたらいい、私と笑う時間よりも、私を想って泣いてくれたら、それそこ幸せで、…幸せ、で…

 

11月の夜を想う。なんとも無い普通の夜、デスクトップで再生する色々寄せ集めた音楽が、知らずのうちに何度もループする。電気をつけたまま、転寝をした。というか寝落ちてしまって、飛び起きた時には昏い空気が部屋に満ちていた。煌々と光る蛍光灯は病院のロビーの非常灯みたいに仄暗く 認識から外れて、痛む右肩を押さえ左腕で這い、なんとかグラスに水を汲み握りしめて湿った錠剤を飲む。のたうちまわっている間も延々と流れ続ける音楽が、いまでも染み付いている。それを、

思い出す。あの昏い夜が、始まりだった。私はそう思う あの夜だけは、憶えておきたい。がらりと雰囲気が変わってしまった、かなしい夜

 

雰囲気が変わる、という事は、連続性を失うということ 私のうちで、大切ななにかが終わるということ どうしても避けられないけれど、こんなふうに無理矢理に変わってしまうのは、あまりに辛く、ぶち込まれた居心地の悪い昏い雰囲気は、それを避けられなかったように当然に、掻き消すことなど出来なくて…ただただ、現実に流されるのを、受け入れるしかなくて…。「雰囲気」というものは…私と現実を繋ぐ、大切な、印象。これがないと、私は今を憶えていられない。

こうして日々を忘れないよう文字に残しても、写真で切り取っても、これが無ければ、まるで嘘みたいに、他人事みたいに、思い出すことが出来ない。本当に大事なのは、形に残るものではなく、私の中にあるひどく曖昧で不確かな印象ひとつで、出来事は、それを思い出すためのきっかけでしかない。これらがアルバムだとしたら、その中身は匂いのように、音のように、あやふやできめ細かな、色、のようなもの。それが私の思い出というもの、記憶で、私が私であるという証拠…

猫はおひさまの匂いがする

幸せっていろんなかたちがあるけど、いわゆる常識的な幸せって、お金があって、社会的に良い立場にいたり、楽しんで仕事してたり、趣味していたり、友達が多かったり、いい人と結婚していたり、素敵な家庭を築いていたり…、、とか?

そういうふつうな幸せ、は、自分には望めないんじゃないかなと諦めているところがある

きっとそういう風に幸せな人にも、不幸なことってあると思うし、差し引きしたら、同じくらいなのかもしれない、

でも、なんとなく、みんなでああ幸せだね、それは不幸だね、って、言い合えるかたちって、羨ましいなと思う

誰かと比べたいわけではなくて、自分がどう思うか、どうなのか、それこそが大事だと思いつつも、ひとりきりで「幸せだ」と噛み締めるだけで、どこにも行けない幸せ不幸せは、かわいそうだと思ったり

此処で、少しは、外に出しているけれど、みんなに理解して欲しい、理解はしなくとも、聞いてくれたらいいのに、という欲さえ、諦めているところがある

 

テレビの中で、小さい子供が駆けてきて、それをお父さんとお母さんが抱き締めて、笑う

そういうのを見てると、眩しくて、きっとそういうのが幸せと言うもので、理想的で、そこは明るいひなたなんだろうな、と思って、なんとなく後ろめたく、淋しく、そして皆が幸せならいいなと思ったりする

 

自分は幸せものだ。それはまちがいない。ただ、なんとなく、とおい

実験体になれない

というわけで今日は病院でした。心理師さんと目が合わせられない必です。違うブログでの名前は心、と言います。必の名前は、瑕入り廃棄行きという意味を持たせていますなんの話ししてんだ。

なので、ここでは基本的にあっちではアウトになるワード、自殺とか死にたいとか自傷とかとかメンヘラっぽい話題になりがちです。いつもすみません。

 

死ぬことが、できたら、少しは見直してくれるでしょうか?許してくれるでしょうか?許される、でしょうか

馬鹿なので、まだこんなことを考えています。先に進まなければ、ずっと痛いままなのに、「それがいい」なんて、我ながら嗤えて仕方がない だから、せめて、私が死ねたら報せてください。そして、私がやっと死んだことを、どうか憶えていてください。私のことは忘れていいですが、どうかそれだけは。そうならばそれほど嬉しいことはありません

 

今日のハイライトは、高校時代に付き合っていた人、と話したら、彼はそういう人だったんだね、と返されて、新鮮だったことです。彼。残念ながら、私は同性愛者なので、彼女さんなんですよね…でもそう言ってくれる人と話すの、割と楽しいです。あえて訂正はせずに、彼、のままで通すのも。

それから医者に、トラゾドンは口が渇いてつらいと言ったら「サインバルタリフレックスの方が抗うつ薬だからずっと口が渇くと思いますけどね^_^」と言われて全く聞く耳なしだったのも…私はそれらで口渇が出たことはないと、言っても無駄でした。何この時間もはやウケる。

 

早く消えたいなあ

 

フォトフレームは捨てていく

心理師さんと2回目の面談でした。話したことは前回話した、自分も楽しんで生きてもいいのか、と、衝撃を受けたこと、についての深掘りをしたことです。

自分には家族のために生きて死ぬ義務がある、それはいつの間にか染み付いた考え方でした

学生生活から仕事、趣味の話になり、「趣味は大いに楽しんでください」のことでした

自分を表現できる趣味を持っていることはすごい、羨ましいとのことでした

でもそれはストレス解消にはならないもので、だけどそれがストレスが溜まっているか判断するのに使えるのではないか、とも

 

心理師さんは義務、のことを、自立と仰いましたけど、そんなポジティブなものではないと思うのです。あと、その趣味を断つこと、は、私が償うべき罪の、罰であるから、当然なんだと思います。幸せになる権利も、楽しむ権利もない、と思います。家族を看取ったら私はすぐに自殺します…それが唯一の贖罪

なんて、理想論を吐き捨ててしまいたくて、窒息しそうになった。普通のしあわせの中で生きていきたくて、だからお金を払ってこんなところに来ているというのに、それはない、だろう

私に求められていることが何なのか分からない。明確に指示されたなら、それを実行することが私の責任だと思う。幸せになれ、と言われたら、幸せだと思う義務がある。

 

諦めるのも、忘れることも難しい。忘れるためには、傷を治す必要がある。その為には諦めが必要で。傷が癒えていくにつれて、想いは過去になっていく。あれほど生々しく痛んで、苦しんで、つらかった愛おしい感情は思い出すことさえ難しい。指の間をすり抜ける砂を惜しいと思えば縋ることに必死になって、藻掻けば藻掻くほど傷は膿んで痛む。それはあの人を覚えている、忘れていないという実感を与えてくれる。あの人が与えてくれた痛みによく似ているから。でももういいかな、と、思った。あの人は先に行く。私は最早「あの人」をあいしてはいないのだろう、から

切ない春の終にて、幸せ

穏やかな風が吹いている。さらさらと笹が揺れる。背筋を伝う汗が、綿のシャツに吸われて、風が通ると、すっと冷えて、心地が好い

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車窓から涼しい風が流れてくる。助手席で他愛もない話しで笑うおばあちゃんの顔が、ミラーに映る。橋の手摺が鍵盤を踊る手みたいに優雅に滑っていく。

桜が咲いている。葉擦れの音に合わせて木漏れ日が揺れる。蜜蜂の低い羽音が耳許を掠めて、一瞬身が縮む。

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風が、あの山の向こうから、ずっと渡ってくる。あの山にはおじいちゃんが眠る。おじいちゃん、今日はいい日だね。あたたかい春の陽だね。

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昔よく遊んだ遊具で、桃、水、黄色の帽子がきゃっきゃとわらっている。先生もわらっている。ちいさい手が鐘を揺らすと、からんからん、金の軽やかな音は、風に乗って、遠くまで

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