遺言

ちらしのうら

記憶のありかた

笑ってくれるよりは、泣いてくれたらいい、私と笑う時間よりも、私を想って泣いてくれたら、それそこ幸せで、…幸せ、で…

 

11月の夜を想う。なんとも無い普通の夜、デスクトップで再生する色々寄せ集めた音楽が、知らずのうちに何度もループする。電気をつけたまま、転寝をした。というか寝落ちてしまって、飛び起きた時には昏い空気が部屋に満ちていた。煌々と光る蛍光灯は病院のロビーの非常灯みたいに仄暗く 認識から外れて、痛む右肩を押さえ左腕で這い、なんとかグラスに水を汲み握りしめて湿った錠剤を飲む。のたうちまわっている間も延々と流れ続ける音楽が、いまでも染み付いている。それを、

思い出す。あの昏い夜が、始まりだった。私はそう思う あの夜だけは、憶えておきたい。がらりと雰囲気が変わってしまった、かなしい夜

 

雰囲気が変わる、という事は、連続性を失うということ 私のうちで、大切ななにかが終わるということ どうしても避けられないけれど、こんなふうに無理矢理に変わってしまうのは、あまりに辛く、ぶち込まれた居心地の悪い昏い雰囲気は、それを避けられなかったように当然に、掻き消すことなど出来なくて…ただただ、現実に流されるのを、受け入れるしかなくて…。「雰囲気」というものは…私と現実を繋ぐ、大切な、印象。これがないと、私は今を憶えていられない。

こうして日々を忘れないよう文字に残しても、写真で切り取っても、これが無ければ、まるで嘘みたいに、他人事みたいに、思い出すことが出来ない。本当に大事なのは、形に残るものではなく、私の中にあるひどく曖昧で不確かな印象ひとつで、出来事は、それを思い出すためのきっかけでしかない。これらがアルバムだとしたら、その中身は匂いのように、音のように、あやふやできめ細かな、色、のようなもの。それが私の思い出というもの、記憶で、私が私であるという証拠…