遺言

ちらしのうら

一緒に行く

過去の日記を見返していた。今ではここで書くことが多いけれど、冬まではあっちがメインだった。死にたいとか直接的な言葉をぼかしてはいたけれど、辛いのは事実でも、そこまで追い詰められてもいなかった、というのが良くわかる言葉たち。今は、そうね、結構しんどいけれど、気力はあの時よりも回復してきていて、なにより、「今はひとりじゃない」から

あの夏、幾つもの私を見ながら、私は独りきりで、それが寂しかった。悲しかった。

「育て直したい」とも、思った。やり直したい訳では無い。私は私の人生が、いくら歪んでいて間違っていたとしても、肯定する。認めて、許す、から、やり直したいとは思わない。それでも、無力だった幼い私を、おとなのいじわるから守ってあげたいと、そう思う。思っていた。緩やかに、ほんとうにわずかずつだけど、それは実現している、と思う。物理的に育て直すのは無理だけど、この間もここに書いたように、私はあの頃のおさなごとして、母として、やり直せている、と思う。私は、去年もそうだったけど、暴力を振るいながらも、それでも愛していた、愛している、と思うよ。私は別れていても私であるから、どんなことを考えてぶつのか、痛いのも、後悔も、その奥にある理由も、ちゃんとわかる。わかっているから、大丈夫。それに私は二人きり、でもないし。母と子、だけじゃない。母として子を殴るのではなく、役割があって、多分みんな、私を許している。許してくれている。「それでもいい」と、言ってくれる

みんなで力を合わせて、先に進めたらいいよね。過去は大事だけど、ちゃんと先に。どうしても治らない傷も、酷い言葉も、衝動も、たくさんあるから、真っ直ぐな愛を向けることは出来ないけれど、理解して、受け止めてくれる私がいるから、私はきっと大丈夫。