遺言

ちらしのうら

たかが助詞ひとつ

この間のは違ったと言われてまた不快感

「は」って

確かに5年前は失血で倒れてじごーじとくなわけだし、そう見られても仕方ないといえばそう

死にたい感情もあったし、でも、

あれは、薬をやめろとこっぴどく叱られて、既にいっぱいいっぱいだったのに、どうしたらいいかわからなくなって自傷が急激に悪化したためで、

それは知識や経験が足りなかったせいもある、どのくらい血を出したらいけないのか、本当に無理だと無意識に思ったときに自分がどうこうどうするか知らなかった

知る間もなく知らずのうちにあっという間に悪化していて、

だから本当に死にたくてそうしたのかというと違う

私が未遂という分には良いけど、他人にそう評価されるととても悲しい、

怒りさえ感じる

こんなことで悲しくなっていたら相手も困るだろうけど、なってしまうのはもう私では、

診断名は急性薬物中毒だったんだけどもうそれは笑うwけど保険云々の関係ででそういう診断をする、とも聞いたからまーいいかって感じですけど…

あのときは貧血だったけど鉄剤はだされなくて、

むしろ自分が貧血ということすらすっかり忘れて、1ヶ月後にたまたま行った内科で貧血ですといわれてええ?!と思うほどのバカだった 愚かだ…

そうとは知らずに、ぶっ倒れてからもしくしく切り続けて、それでわけのわからない悪寒に襲われてはなんで??とか思っていた

そのときはHbが6で、それで一ヶ月とか無理…と思ってしまう

8の今でもしんどいのに、

とても日常生活をまともに送れるレベルじゃないかな、と思う、私にとっては

もういろいろとわからない

そういえば身体的な痛いこと怖いこと、は、私の記憶には、記録として残るだけで実感がない

多分痛かったかな?くらい、そういうかんじ

だから悲しかったか、辛かったかといわれてもよくわかんない

それに私はどうかんがえても不幸な子供ではなかったし、

多少不運だったな、というくらいで

それはむしろラッキーだったんじゃないかと思う程で

それでも幼い頃の寂しい悲しいは確実に残っていると思う

だからといっていま優しくしてほしいか、といわれたら、どうなんだろう

私はできれば私のままで、ひとりで、人並みに生きていきたい

こっそり生きていきたい

綺麗なものを綺麗だと思える、幸せのなかで、生きていきたい

と思う

生きていることは、今日を生き延びたということは、紛れもなく幸せなことだと思う