遺言

ちらしのうら

ふつう は 恵まれている ?

「ふつうになりたい」

「ふつうってなに?」

「普通に社会人やってともだちと遊んで恋人とデートして結婚して子供を産んで育ててその後が社会人になるまで見守って見送って穏やかに過ごす」

「やればいいじゃん?」

いややれたら「ふつうになりたい」なんて言うわけないやん…と言ったら、やりたいならやればいいんじゃないの?と言われ、やりたいと思えないと言うとじゃあやらなければいいじゃん。……ふつうになりたい。エンドレス。

 

「やれる」という時点でふつうなんじゃないか

やりたいと思えるだけで幸せなんじゃないか

やろうと思えるだけで才能がある

そんなふうに言える妹チャン、キミ、「ふつう」の才があるよ!オメデトー!

 

ふつうであることが、幸せとは言わないよ

だからこそふつうっていうんだろうし、

でもその場に立てない私からしたら、それは紛れもなく「幸せ」と思える

ふつうにいる人たちの幸せって、社会的地位とか、お金とか、趣味とか、そういう所にあるのだと私は思う

でもそれは、まず「ふつう」にいなければ望めないものだから

 

……ふつうになれないことは、「幸せじゃないわけじゃない」

私は幸せだと思うから

だけどふつうに、は、なりたい

たぶんそっちのほうが、つらくはないから

……まだ、ふつうになりたい、と思えるだけ、私は幸せなのだ。恵まれている。幸運だ。ふつうがなんだかわかるだけ幸せ。望めるだけ幸せ。

 

…生きていることさえ、赦されない、赦してあげられないひとたちに、あなたは生きていていいんだよ、と、あなたの命が「生きるべき」なんじゃなくて、ね、あなたという存在が生きていていいんです。って…生きて、そして、良かったらなにか、なんでもいいから聞かせてください。つらいことでも、うれしかったことでも、許せないことでも、信じていることでも、きれいでもきたないでも、世界でも、なんでも。