遺言

ちらしのうら

きらきら光る愛は指先をすり抜けて

いちばん最近のカウンセリングを聞き直した。

…先生にはやっぱりみいんなお見通しだったんですね…その通りでした。「おともだちになりたいひと」と普通にともだちになりたかったのはうそじゃないです。でも、その言葉で隠された「その人とともだちになりたい理由」は、そのひとが専門的な知識を持っている故に私の話を理解してくれるだろうという確信を前提に、話を聞いて欲しかったのでしょう。具体的に、こういう話をしたいとは思い浮かびませんでした。だけど、それだから、私は「病名」を打ち明けたのでしょう?

そして。その前提を基に、「何一つ話さない」か「全てを打ち明ける」かに振り切れる私のことも。先生はお見通しでしたね。私の、あの人に対する好意も敬意も嘘ではありませんでした。けれども確実に不純な期待が混じっていたことも、これはきっとですが、先生も、そしてあの人も気づいていたことでしょう。だから距離をとったのだと、思います。寂しくはありましたが、それは正解だったと思います。さもなくばあの人も、私も、不幸になったかも知れませんから…

 

先生。明日は、先生とお話したことを、あの先生が解ってくれるかは分かりませんが、ちゃんと伝えてこようと思います。医者に期待は無いのですが、そうすることが、先生とのお時間を無駄にしないための、私が尊敬した先生とのお時間を、無かったことにはしない唯一の方法だと思うのです。先生は私のおともだちではなく先生で、私はただのクライアントでしたけれど、私を心配してくれたのは確かでしたから…それを無駄にはしません…。

 

ああでも、もし私が、なんでもない普通の人間で、クライアントとしてではなく、普通の友達として。あなたに会えていたなら…と、それほど幸せなこと、他に思いつきません。あなたに出会えたことは幸運でした。幸いでした。だけれどペイシェントであったことが、唯一不幸でした。

 

…ふつうに(広告分野での)依頼者という意味でクライアントと使っていたけれど、心理の方ではクライエントなんですね(今知った) すみません、脳内書換お願いします。

って、広告分野もクライエント!?アイエエエ!!

 

寝よう…皆様、どうか好い夢を。