遺言

ちらしのうら

生きるために殺すいくつかのもの

先生は私のそういうものを治すのは「病院」や「カウンセリング」だと言っていた

でも私は正直よくわからない

全ての心理士さんがそうとは限らないし、病院に行っていても良くなるかどうかは運や巡り合わせ次第で、

私、自分のことを話せなかった、のは、私自身が未熟だからだと思っていた。だから今なら話せると思ってた。でもやっぱりちがうかもしれない

先生が「いい人」だったから話せたのだと思う

先生は日向に居ながら、日陰にも入ってこれる人だった 「暗くてじめじめしているけど、日陰も好いものです」と言えば、うんと頷いて、日陰についての話をいくつかしてくれた。そして、「日陰もいいけど、日向もいいよ」と、日向のしたに誘ってくれるような。でも友達とはちがうから、一緒に遊んではくれなくて。それでも日向のしたで、お陽さまの暖かさが心地いい、風がやわらかい、と、私は私でいいところを見つけることが、できたから、寂しくはなかった。

日向で遊ぶみんなの輪に、無理矢理背中を押して突っ込んで遠くから見守るだけ、という優しさは寂しく、冷たい。私はどうしたらいいかわからなくて、少し馴染むふりをして、その人がいなくなったらすぐに元の場所に戻る。そうして帰った日陰は、ただ冷えた風ばかりがびゅうびゅうと吹いて、余計に虚しい。だけどみんなの輪に入り、日向に生きることこそただしいと見做すひともいる。そういうひとは、どれだけ日陰のよさや、もしくはここにしかいられない理由を話しても、そうですね、とは言うけれど、その後には「でもね、」と言ったりする。日向から溢れたひとが追いやられた場所が日陰。好ましくないところ。キノコとカビの温床?そう思っているのかも それは間違ってないのだろうけど、私はそう考えたくはない、かな

そう言うひとに、私の話をすると、軽くあしらわれてしまうのが、馬鹿げた話だとわらいとばされるのが、私はすごく嫌だしこわい。だから何も話せない。話せないでいて、何が良くなるのだろう……いや、私は最初から期待などしていなかったんだ 諦めていた それが、先生というひとに出会って、「もしかしたら」と思うようになって…それは、よくないこと、だと思う

もっとちゃんと、私がヘンで見るからに故障してたなら、家族も私も私自身を見放すことができたのに、中途半端でも必要とされるべき姿を演じていたから、要る様な気がしてしまったんだろう、そういう錯覚を感じるほどには、私はうまくやっていたらしかった。でも私はもう本当に疲れ切って、誰かのために生きるという目標でなんとか生きていたのに、自分のために生きるのが良いとか、私らしさとか、そもそも不要である私と言うものに生きる理由を求め始めたら、こうしたいだのああしたいだの、不相応な願望ばかりあふれ出して手に負えない。

誰の、ために?なんのために、何を治すの?

それは必要なこと?