遺言

ちらしのうら

5度目の2月26日、おめでとう

今日は2/26じゃないですか…5年前の今頃は、まだ起きてた?それとももう気を失っていた?

というのも5年前の今日は過去と今を繋げた忌むべき日であり、そして今の私が生まれたバースデイでもあるのです

 

それでですね、昨日の晩、また家中血まみれにしてしまったみたいで

でも、片付けをさせられただろう家族はそのことに触れてこない。いつもと変わらない朝。私も、覚えてない。「切った」事実は、左腕の傷と、血まみれのシーツと布団、パジャマ、手をついただろうところに残されたほんの少しの血だけが証明する

厄介だ。でも、手当てをしてもらえたからいいかな。うん、そのために切るんだもんね?そうだよね。最近は痛い思いして切っても、割けなくなっちゃって、ろくに見向きもしてもらえない。血を出してもティッシュに包んでポイだもの。だから外側を切った 痛かった。痛いよ、と言えば、死ねと言われて、飽きられたら、適当に止血されて、それで…今日のは久々に綺麗に脂肪が見えた。分からない。貧血になる程でもないのに、見た目は派手。…下手したら死にそう?いいえそんなヤワじゃないよ、人間の身体

 

でも5年前は血が足らなくて死ぬ思いをした。身体じゅうを流れる赤い液体で私は生きている

こうして皮を割かなければ流れている自覚すらもてない熱い熱い血液のおかげで息ができる

馬鹿だな。死にたくなんてない。でも、消えてしまいたい。なぜ?なぜだろう…。楽になりたい?しあわせになりたい?私は、どうなりたい?分からない。なぜ、泣いているの?何が、悲しいの?なんで、どうして?

 

せんせい。私ね、何もかもすぐ忘れてしまうけれど、きのうの夜、一生懸命探したペンで、よれよれの字だけれど忘れないように頑張ってメモを残しました「せんせいにあいにいって、せんせいに治してもらいたい」って、

ばかばかしくて、あんなの、とても私とは思えません。気持ち悪くて吐き気がする。流れ出た血液と一緒にゴミ箱に捨ててしまいたい。許せない。許せない。そんな穢い「私」は、傷つけ棄ててしかるべきだと、そう思いませんか?

ざまあみろ。それが5年前血溜まりの中で気絶していた私に宛てる言葉で、そしてまた、良く頑張りましたね。とも、言いたいのです

やっぱり私は純粋にあいしている。なんて言葉じゃ足らないし、満足もできない。優しく撫ぜるだけでは許せないし、認めることもできない。切って破いて殴って踏んで、ぼろぼろに痛めつけて見下して、泣き始めてようやく「かわいそうだ」と思うことができるんです。そしてそんなことでしか愛されていることを確認できない私のことを本当に理解して「わかっている、大丈夫だよ」と言えるのも、私だけです。それじゃあだめですか?まちがっていますか?せんせい。

 

お誕生日、おめでとう。あいしているよ。頑張ったね。これからも、頑張ろうね。大丈夫、今日も、明日も、そばにいますから