遺言

ちらしのうら

拝啓、愛おしき人たち

もし知り合い程度の人にボーダーであることを打ち明けられたら関係を辞めるか?という質問。私ならまず辞めると思う。

じゃあ何故そうしたのか?私にもわかりません。

私は自分はボーダーではないと思いますが、診断を下すのは私じゃあありません。私の嘘偽りにまみれたへらっへらの笑顔のその場しのぎの会話から、お医者様が下すのです。それが絶対だなんて。カルテに書かれたらおしまいです。つまり、私はおしまいです。目出度し目出度し。診断が正しいのかそうでないのかは分かりませんが、少なくとも1度はボーダーと下されたことが嗤えて嗤えて仕方ないので、自虐的にそれを打ち明けたくなるのかも知れません。あ、ボーダーの方を非難するつもりは全くありません。ただ、私には、「ボーダーと診断された私」が甚く馬鹿馬鹿しく無価値どころか害悪で、ウザったくて消し去りたいくらいというだけです。あ、それは置いておいて、無価値、というのは、別に悪い意味の言葉ではないと思うの。価値がない、純粋にそれだけの意味で、存在の否定には繋がらないのではないかな。だけど先の無価値は存在の否定という意味で使いました。ボーダーを否定するとかではないので勘違いしないでくださいね。

自分がボーダーかどうかなんて、本当はどーでもいいんだけど、ただ、それは私にとっては、だけであって、それを誰かに話したら即厄介者扱いになるのが哀しい。しかもそれ、大好きだったラムネ先生の目の前でバラされたのが、私はとてもショックだったんですよ。だから自虐ネタになってしまったんです。ちくしょう。

でも、もうラムネ先生は、私の好きだった人じゃなくなってしまっていた。そうしたのは、おそらく私で…だから、ごめんなさい…とは、思う、そういう意味で厄介者というのは正しくて…だけど私はできるだけ迷惑になりたくなくて、本当は、先生とも赤の他人で居られれば、お互い傷つくこともなかったんだろうなって。私が「助けて」と言わなければ、誰も巻き込まずに済んだんだろうと思う。心理士さまは、「助けて」と言えるようになればいいと言ったけど、それは、人によるんじゃないかな。少なくとも私みたいな奴に、それは向いていないと言うか…言葉通り価値がない。私には、助けるべき価値がない。これは自虐じゃなくて、事実だと。

 

「生きてて欲しい」のは、私という存在が欠けることが、想像出来ないからでしょう。ずっと近くにあったから居なくなったら悲しいと、そう予想するからでしょう。あなたが私を必要とするからでも、私に生きる価値があるからでも、生きるべき人間であるからでもなくって。

あなたはね。あなたの幸せのとおり、生きれば好いんですよ。私のことなんてさっさと忘れて幸せになってください。私という存在が消えたところで、あなたの人生が不幸になったり、悲しみに明け暮れることなんて、本当はないんですよ。それはあなたがそう思い込んでいるだけで。それほど私というものは、あなたが思っているよりも、些細なものであり、消えたら消えたで、それで済んでしまうものなんですから、どうかあなたは、あなたの幸せの為に、生きてください。