遺言

ちらしのうら

流れる音がする。波。繰り返す音、途絶えぬ事の無い音。

私は何者なのだろう?私が生きていられるのは、どうしてだろう。例えば猫には、善と悪という基準はないように見える。生きるために息をして、ご飯を食べて、興味があれば行動する。危険があれば逃げる。したくないことはしない。するべきことは自分の生きるための欲求。でも私はそう生きることは出来ない。人間であるから、生きるために生きることが出来ない。欲のまま動くことも出来ない。危険であってもここから逃げられない。したくないことをしないという訳にもいかない

誰も私を殺しはしない。ルールだから?興味が無いから?殺す価値が、ないから?なんで、なんで生きているの、だろう?誰にも望まれない命が、どうやって、生きていけるのだろう。生きるためには人間の輪の中で、社会で、生きていかないと、生きることさえままならない、人間という生き物。人の中で生きるということは、必要を意味する。必要とされるから生きていける。そうじゃないものは、死んでいる。間違いなく。

関心は愛だ、そうじゃないのが、愛ではないなら。なら私は気違いが良かった。嫌悪でも憎悪でも良いから関心を向けてもらってるうちは、少なくとも愛されているということだった

いびつでも真っ当じゃなくても良かった。そんなの、私に選ぶ権利なんてないのだから、貰えるだけしあわせだ。それさえも貰えない命は、とっくに死んでいった 不要なものは、無視されて凍えて死んでいった

だから、しあわせなんだ しあわせだったんだ

あれでも、私は、きっと、しあわせだった

でももう私が出せるものはなくなってしまった

厭きられてしまったから、価値がなくなったから、つまらなくなったから…

分からない。間違っているかどうかも。ただしい、と、多くの人が思うそれに、私は当てはまらないのだから、わかるわけが無い。ずっとそうだった。それが当然だった。私にはそれしか無かった。善悪でなく、それしかなかったから

助けて欲しいなんて言えないよ 言ったことがなかった 助けられたことがないなら、助けを呼ぶという感覚もわからない。

自力でどうにかする。どうにか出来ないなら、自分を切り離してでも。私が何者か分からなくなっても、それさえ信じることが出来なくなっても、生きるために生きなければいけない。それ以外、どうするのが正解なのか、そんなの、私の知ったことじゃない…