遺言

ちらしのうら

所詮人間の罪を免れるための言い訳

代謝が遅いのかな。若くないし、当然といえば当然かなと思う 自業自得で、それでもごめんねという気持ちになる

夜になって、頭痛と寒気がしてきた。階段登るのも、立つのも座るのも苦しい。熱があるかもしれないな、と思う

息が苦しくなって、死ぬ時こんなだったらやだなあとか、大袈裟だけど、

本当に死ぬかも、と思ったときは、いつもしんどかったから 失血で貧血になった時も、貧血で夏の炎天下に繰り出した時も、普通じゃない感じがした そういう時には、耐えるしかなくて。

大切な愛猫も、一年近く普通じゃない、強烈な苦痛に耐えていた、耐えるしかなかったんだ。と、辛い時ほど実感する。それこそ死んだ方がマシという程だったかも知れない、それでも彼はじっと耐えて、運命に逆らうでも、諦めるでもなく、眠ることも出来ないひとりきりの真夜中を、一生懸命生きていた。だからこそ、諦観ではなくて、人という生き物が、誰かが本当に辛くとも、寄り添うことは出来ない。と、思い知った。眠ることが出来ない寝子に、ずっと起きていて、ひとりじゃないよ、と言いたくても、気を抜くと眠ってしまったり、学校を辞めたいと思ってもやめることが出来なかった。辞めなかった、だろ、と思う。余命を宣告されていたのに、あと少ししか一緒に居られないと痛感する程日毎に衰弱していく彼を見ていながら、寄り添わなかった。ひとりきりの夜がどれ程切ないか、世界に1人きり取り残されて、皆死んでしまった。と思うほど夜は孤独で昏いのに、あの子は、ずっと起きていた。文句も泣き言も言わず、独りぼっちで。本当に酷いやつだ。私を怨む。憎む。同時に彼を苦しめた、神さまを恨んだ。神さまというものは、人が免罪のために、そうとしか言えない運命を、誤魔化すために生まれてきた塵箱に違いない。だから幸せな時には神さまありがとう、不幸な時はクソ野郎。と、思って当然なんだ…私は神じゃないし、穢い人間でしかないのだから、そうする権利は持っている。と思う。

彼は、彼はね、そういう運命を背負わされて、それでも一生懸命生きた。それがとてもすごいことだと思う。尊敬する。下らない罪悪感や自罰で死を想うような、穢れた私とは全く異なる。死んだ方がマシだなんて生物のきまりに反する身勝手な人間なんかとは違う。軽率に命を絶つこともない。一生懸命息をする鮮烈な命そのものだった、彼を愛している。ずっとずっと愛している…癒すことも赦すことも救うことも、何一つやらなかった。それなのに生きていて欲しいなんて身勝手を押し付けて、本当にごめんね。一生懸命生きてくれてありがとう。