遺言

ちらしのうら

わからない

数日前に、安心感を寄せていた人からメールがあった。内容は、色良いものではなかった。

あなたなら大丈夫、ということは、きっと、私にはそれだけの価値が無いということを表している。と、思う。例えば私が今にでも死ぬという雰囲気を出せたなら、大丈夫と見離されることは無かったのだと思う。何故、生きて、いるんだろう?

分からない。分かりたくない。忘れたい。何もかも。もっとこわれていたなら、価値を見出して貰えたかもしれない。こんな中途半端に不幸で存在価値がない私など、なんの面白みもない。私自身が、私に厭きている。必死で生きていた。そんな無価値な私でも、唯一私には愛されている。必要とされている。だから、生きるんだ、と

それでも誰かから言われる「必要ないよ」は、そんな嘘も強がりも通用しない程つよくて、嫌になる。どうしてこんなに大事にしてあげたのに、私のことをなんとも思わない他人の言葉を信じるの?そんなに死にたいなら死んでしまえ。もう私だって、私のことなんて要らない。愛してあげたのに、恩を仇で返すんだね。誰も私を認めないし、必要としない。私がなんと言おうとそう思うなら、もう死んでしまえよ