遺言

ちらしのうら

「おかあさん」

酒を飲むなら自分がわからなくなるまで飲まないと肝臓と脳みそに申し訳なくて…(?)付き合いで飲む酒、おとな、になってから飲む酒は本当にまずい。肝臓に申し訳ない。私は酒を薬物と同等に見ているわけです

 

主治医は、私を信用してない。だから私も信用できない。だからゆうきをふりしぼって訴えても、ただ顔を顰めて「良くない」という回答しか返ってこない。私だって「良い」とは思ってないし自分を傷つけたいと思ってる訳でもない。それならなぜやめられないの?と、真顔で訊く様だから、私はそろそろ医者を変えるべき〜〜?

そもそも、私はお医者様というものを信頼していないから元はと言えば私が悪いのかもしれない…お医者様、というか精神科医を信用していないし、さらに言えば精神科に纏わるすべてのものを信用していないし、もっといえば人間自体を信用していない。けど、人間を憎んで恨んでいる訳でもなくて、毛虫は嫌いだけど毛虫を駆逐したいとは思わないし危害がなければ毛虫も世界のうちのひとつで、それは素敵だな、と思う、同じ様に

 

私はまだ忘れられない。先生はもう忘れたかなぁ。忘れた方がよいひと、忘れたくないひと、忘れていくひと、忘れられないひと…いろんな人がいるけど、先生にとって私はどんなひとだっただろう(あれ、一応人として扱われてた、よね?)忘れたい人、忘れるべき人だったら、かなしい?かも??どうだろう…でもそれで先生がらくになるなら、忘れられた方がいいんだろうな、とは、思う

 

ひとはあたたかい。こたつみたい。あったかくてしあわせだから、はなれたくなくなる。でも、それは急に壊れたり逃げ出したりする、酷く気まぐれなこたつだから、安心してあたることはできない。中途半端にあったかくてしあわせ、を感じるならば、最初からこのお布団にくるまっているのが、いい。お布団は私の体温だけを、素直に保ってくれる優しいもの

でも、お互いに殴り合ってる様な関係でも、そこにはちゃんとひとの体温が有って、いたくてもしあわせだった。から、いまだに、こたつっていいなぁ、と、浮気しながら、それでもここはいつでもやさしいあたたかさ

好きだよ、それは、絶対に変わらない。どんなに寒くてもつらくても守ってくれる。先生に話した、私が私を育て直したい、ゆめ…それに似ている。私だけは、私がどんな無様に成っても血塗れで穢くても時には酷いことを吐いても、傷つけても、試しても、それでも私を見捨てない。いつ振り返ってもそこに居て、呼べば大丈夫だとわらってくれる。そんな、おかあさんみたいなひと…